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Paintings

Artist Statement

〈 人間と機械 〉を主題に制作。人格や感情、社会と機械の相互作用を探究する。

本制作は、「人間とは何か」という問いを、人間と機械の境界が揺らぐ現代的条件の下で問い直す試みである。神経多様性をめぐる社会構造の不均衡(01)から始まり、社会への過剰適応による人間性の変容(02)、自己・記憶・人格の流動的な構造(03)、そして人間中心主義的枠組みの終焉(04)へと、制作の問いは段階的に深化する。この深化は単なる主題の交代ではなく、同一の問いが異なる層において繰り返し問われる螺旋的な展開である。

制作に用いる画材と技法は、この問いを語るための単なる道具ではなく、思想の物質的な実装として機能する。制作過程と鑑賞過程の双方において、物質的現象そのものが「人間と機械の境界」を直接的に体現するのである。

Key Phrase

二年ごとに制作の指針となるキーフレーズを設定。

01. 2020-2021:〈 人間に擬態する機械人間 〉

定型的に発達する人間と、非定型的に発達する人間との関係を考察。

現代社会における神経学的少数派は、神経学的多数派によって形成された支配的文化の中で周縁化され、十分に社会適応できない状況に置かれている。

そのため、多くの少数派は、自己の特性を覆い隠し、多数派の行動様式や言語、感情表現を模倣することで、社会的ハンディキャップの克服を試みる。このような擬態的行動による適応は、当人の精神的負担を著しく増大させ、二次的な障害を引き起こすリスクを高める。

しかし、本来このような困難の原因は、個人の側にではなく、特定の神経特性を基準として構築された社会構造の側にある。神経の多様性は人格の本質に関わるものであるため、それを一方的に抑圧しなければ生きられない社会は、明確に差別的であり、非人道的な構造を孕んでいる。

外的な規範に合わせて内部状態と外部表現の間に持続的な乖離を維持するこの過程は、与えられた仕様に従って出力を最適化するアルゴリズムの作動様式と構造的に対応している。すなわち〈 人間に擬態する機械人間 〉とは、自己の固有性を外的規範の論理によって上書きし続ける人間のことであり、その意味において機械の一形態としての性質を帯びる。

このような、人間が人間であるために機械的な振る舞いを強いられる構造に着目し、神経多様性をめぐる現代社会の不均衡を可視化すると共に、「人間性とは何か」という根源的な問いを、制作を通して探究する。この問いは、次期以降の制作においても、異なる形で繰り返し問われることになる。

また本制作は注意欠陥多動症である制作者自身の経験を出発点としており、社会構造への批判的考察であると同時に、当事者としての実践的探究でもある。

02. 2022-2023:〈 失われる人間性 〉

社会構造への過剰適応を示す〈 機械化する人間 〉と、科学技術の進歩によって〈 人間化する機械 〉との関係を考察。

前期に問われた擬態の構造は、神経学的少数派に固有の問題ではない。大規模定住社会から始まった社会構造の複雑化は、産業革命以降、加速度的に進行し、人間はますます合理化・規定化・計算可能化を志向するようになった。それは、複雑化した社会を生き抜くための、生存戦略としての学習的適応である。

人間を機械と比較した場合、両者の特性は明確に異なる。それは端的に言えば、人間の特性は偶発性にあり、機械の特性は計画性にあるということである。ここでの偶発性とは、主体内部と外界とが絶えず相互に情報交換を行うことで生じる、予測不可能な創発的現象のことである。対して機械の計画性とは、設計された仕様の範囲内で最適解を実行する計算可能性のことである。

この対比において、高度に複雑化した社会構造への過剰適応によって偶発性を失いゆく人間を〈 機械化する人間 〉と呼び、科学技術の進歩によって人間的特性を獲得しようとする機械を〈 人間化する機械 〉と呼ぶ。両者が互いに接近するこのような状況の中で、〈 失われる人間性 〉の構造を可視化し、〈 機械化する人間 〉と〈 人間化する機械 〉との関係を、制作を通して探究する。

03. 2024-2025:〈 人間の流体性 〉

人間の流動的な側面と、再構築される記憶や人格、自己意識について考察。

前期までの問いは「人間と社会との関係」に向けられていたが、本期ではその視点を「人間自体の構造」へと転じることで「人間性とは何か」という問いに取り組む。

生命は、静的なシステムではなく、情報の交換によって秩序を維持する動的なシステムである。代謝活動により個体を構成する分子は一定の周期で置換されるが、全体の構造は安定して保たれる。したがって、生命とは固定的・機械的な構造として理解するものではなく、情報の流れの中で持続する流動的な秩序として理解すべきものである。

この枠組みは、精神的な現象にも適用できる。記憶は固定的に保存されるものではなく、想起のたびに神経回路が再編成される再構築的なプロセスである。人格は不変的な心理的特性ではなく、社会的文脈に応じて変動する可変的な構造である。このように、記憶や人格などの精神的現象も、情報の流れの中で再構築される動的な現象である。

この観点からすれば、自己意識とは恒常的な実体ではなく、物理的な相互作用によって一時的に形成される情報構造として理解できる。〈 人間の流体性 〉とは、自己意識を情報過程として捉えた際に観察される、動的な生成プロセスのことであり、この構造についての探求と可視化こそが、本期の制作目的である。

04. 2026-2027:〈 人類代の終り 〉

水平化する人間の価値、インスタントな生命観、分散する人類種について考察。

前期までに問われてきた「人間の構造」は、本期においてより大きなスケールへと発展する。

人間の認知や情動は、神経信号の電気的振動や化学的伝達の相互作用に基づいて形成される。外界の刺激は受容体を介して電気信号へと変換され、中枢神経で処理される。このとき、神経系のリズムは、音楽・形態・言語などの外的刺激に内在する周期構造と共振し、認知判断や感情反応の基盤を形成する。この点において、人間の精神的活動は、外界の構造的なリズムと神経系のリズムの共振現象として理解できる。

また、社会的な情報ネットワークにおける情報の相互作用は、神経回路における信号伝達と同様に、反復・同期・拡散といったパターンを示す。神経系のリズムと社会的情報ネットワークの動態との間には構造的相似性があり、したがって人間社会全体をマクロ的な神経系として捉えることが可能である。

情報構造の各階層において予測誤差の最小化という同一の最適化原理が作動しており、上位階層の秩序は下位階層における相互作用の創発的帰結として生成される。このように、人間・社会・宇宙を貫く情報の流動性は、階層的な自己相似構造として理解できる。

このような視点において、「人間的なるもの」は、もはや有機的な身体に限定されず、情報の振動パターンとして存在する。事実、科学技術の進歩によって人間の価値や生命の意味は単一の中心を失い、多様な形態へと拡散しつつある。今後、生命が複製・編集・拡張される時代が到来すれば、人間は特権的な存在論的地位を自明のものとして主張できなくなる。

制作者は、このような存在形態の転換期を〈 人類代の終り 〉と呼ぶ。それは、人類の消滅を意味するのではなく、人間中心主義的な枠組みの終焉を意味する。

本期の制作では、ミリペンによる描線の累積や律動的な反復を通して、この「波動的な存在構造」を視覚化する。そして、〈 人類代の終り 〉における新しい人間像──分散的かつ共振的存在としての人間──を提示する。

画材と技法

本制作に使用される画材は、ミリペン・金色ペン・金色絵具である。また、表現技法として描線によるモアレパターンが多用される。これらは思想・概念を可視化するための補助的な手段ではない。描線の不可逆性、誤差の累積、観測条件に依存する知覚の変動、階層的干渉による秩序の創発は、制作過程および鑑賞過程の双方において、自己・社会・価値といった情報の秩序が動的に生成・維持・更新される過程を、物質的現象として提示する。

01. 不可逆的痕跡としての描線生成

ミリペンは、一定の線幅とインク供給を前提とした描画装置であり、描線は一度生成されると消去・修正が不可能である。

この不可逆性は単なる比喩的象徴ではなく、制作過程そのものに強い制約条件を与える物理的特性である。本制作においてミリペンは「表現のための道具」ではなく、不可逆的痕跡生成を強制する環境条件として機能する。

描線は、制作者の意図・運動・判断が、不可逆的な形で画面に固定される点において、予測誤差最小化を行う生体システムが、過去の行為履歴を内部状態として累積していく過程と構造的に対応する。

重要なことは、描線の不可逆性が、完成像の決定ではなく、局所的な行為選択の連鎖を拘束する点である。制作者は、すでに描かれた線を前提条件として次の線を選択せざるを得ず、描画過程は常に、既存の生成モデル(画面上の線の分布)と新たな行為との間の予測誤差を調整する過程となる。

結果として画面に現れる秩序は、事前に完全に計画された構図ではなく、不可逆的制約下で局所的最適化が反復された結果として出現する準安定状態となる。したがって、ミリペンによる描画は、自由エネルギー最小化系が環境制約の中で一時的な安定点を探索する過程を、物質的に実装した実験系である。

02. 予測誤差顕在化としての描線の揺らぎ

ミリペンは、均質で安定した線を生成するよう設計された道具である。しかし、その運用は最終的に人間の身体運動に依存するため、微細な震え、圧力変動、速度変化といった誤差を完全に排除することができない。

本制作では、この揺らぎを「排除すべきノイズ」としてではなく、意図と結果の乖離が物質として顕在化した痕跡として積極的に保持する。誤差は画面上に残存し、新たな制約条件として以後の描画過程に組み込まれる。描画は「誤差を消す行為」ではなく、誤差を含んだ状態を更新し続ける過程となる。

描線の揺らぎは、制作者が完全な予測に到達することなく、誤差を抱えたまま秩序を維持し続ける存在であることを、物質のレベルで示している。このように、完璧に制御された線ではなく、揺らぎを内包した線の累積によって画面が成立している。

03. 金色の持つ観測条件依存性と聖性

金色の描画材は、顔料に含まれる金属粒子によって、入射光と観測角度に応じて反射特性が変化する。同一の画面であっても、鑑賞位置と光の条件によって知覚される色味や輝度が変動する。

この物質的な特性が、金色を単なる象徴的色彩ではなく、観測という行為と不可分に振る舞う情報構造として機能させる。視点移動によって画面は異なる相貌を見せ、鑑賞者の予測を裏切ることで、知覚的誤差を反復的に生起させる。

この知覚的な不確実性によって、画面は固定的な像として把握されることを拒み、鑑賞者と作品の関係は動的なものへと移行する。鑑賞という行為それ自体が、予測と修正の連続的過程として経験される。

このとき作品は完結した像ではなく、鑑賞のたびに異なる準安定状態として生成される出来事となる。古来、宗教美術において金色が担ってきた「聖性」とは、超越的実体の表象というよりも、人間の知覚と理解を超える構造の存在を示唆する装置であった。本制作では、この機能を物質的に再解釈する。すなわち金色は、異なる階層の情報秩序が知覚レベルに介入する現象として画面の中に位置づけられる。

04. 高次秩序としてのモアレパターン

モアレとは、複数の周期構造が重ね合わされることで、個々の構造には存在しなかった新たな周期パターンが知覚される現象である。本制作では、グリッドや反復描線といった規則的構造を意図的に重ねることで、この現象を二次元平面上に生成する。

各描線やグリッドは、それぞれが局所的に整合した秩序である。しかしそれらが重なり合うとき、いずれの単体にも存在しなかったパターンが出現する。制作者はこの出現を設計することができない。設計できるのは、出現の条件を整えることだけである。

この過程は、神経階層内の信号処理から、社会的情報ネットワークの動態、さらにより大きな宇宙論的スケールにまで観察される、階層間の干渉による秩序の創発と構造的に対応している。このように、本制作におけるモアレパターンは、下位の秩序の単純な総和では説明できない秩序が、相互作用の結果として立ち上がることを、二次元平面上で直接的かつ物質的に示す。

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