Photographs
Artist Statement
〈 連続性 〉を主題に制作。物質や時空、生命と都市の連続性を探究する。
絵画制作において問われてきた「人間と機械の境界」は「連続性」の問いであるとも言える。人間と機械との間に截然とした境界が引けないとすれば、それは両者が連続した情報の流れの中に位置するためである。写真制作ではこの連続性を、物質・時空・都市という異なる次元から探究する実践として、絵画制作と並走する。
絵画が描線の累積によって秩序の生成過程を物質的に実装するのに対し、写真は観測という行為を通じて、連続する世界の一断面を切り取り固定する。しかしその断面もまた、時間の流れの中で変化し続ける。撮影とは、連続する世界に対して痕跡を残す行為であり、その意味において絵画と同一の制作原理を異なる媒体で実践するものである。
本制作は、物質の動的平衡(01)から時空断面の美(02)、都市の幾何学的秩序(03)へと、「連続性」の探究を段階的に展開する。この展開は主題の交代ではなく、同一の問いが物質・時空・都市という異なるスケールで繰り返し問われる螺旋的な深化である。
Key Phrase
二年ごとに制作の指針となるキーフレーズを設定。
01. 2022-2023:〈 動的な平衡性 〉
粒子の流れの中にある、動的平衡の美しさを捉える。
物理学的に見ると、すべての物質は粒子の集合であり、固体と流体の区別も時間の尺度を変えれば相対的なものである。腐食する金属や腐敗する木材は、固体でありながら長期的には流動体として捉えられる。すなわち、物質とは固定した実体ではなく、粒子の流れの中で一時的に安定した状態として存在するものである。
生命もまた、この連続性の中にある。生命は分解と再構成の速度差によって一時的な均衡を保つ。分解が再構成を上回ったときに生命は死を迎えるが、その構成要素は別の生命の材料となる。個体の境界は明確に見えながら、物質の流れとしては途切れることなく続いている。
このような動的平衡の状態は、日常的な知覚的枠組みでは予測しにくい秩序の形態をとる。腐食の模様、光の散乱、流れの痕跡――これらは固定的な形態の美ではなく、プロセスの中で一時的に顕現した美として経験される。その美しさは、世界が静止した像ではなく、絶えず流れ続ける情報の秩序であることを感覚的に示す。
本期の制作では、このような物質の流体的な側面に焦点を当て、動的な平衡状態が顕現させる美しさを、撮影によって探究する。また、この探究は次期において、時空そのものの連続性というより大きなスケールへと拡張される。
02. 2024-2025:〈 時空間の流れ 〉
被写体の美しさを、時空断面の美しさとして捉える。
前期において物質レベルで問われた連続性は、本期において時空という次元へと拡張される。
美しい形態とは、特定の観測条件のもとで高次の構造が顕現したものとして捉えることができる。すなわち、美とは固定的な属性ではなく、観測という行為との関係において一時的に成立する秩序の現れである。この観点において撮影とは、世界の美を記録する行為ではなく、観測行為そのものが美を生成する過程として理解される。
本制作においてファインダー越しに知覚された美は、四次元時空における情報構造が、撮影という観測行為を通じて二次元平面に顕現したものとして捉えられる。シャッターが切られる瞬間、連続する時空の流れから一つの二次元断面が切り出され、フィルムに固定される。それを印刷用紙に映し取ったものが写真である。
しかし写真は、完成した時点で静止するのではない。保管庫や展示室という特定の四次元時空の中で、空気中の微粒子や温度・湿度といった環境要因と関わりながら、次第に変化し分解される。撮影の瞬間に固定されたはずの断面は、時間の流れの中でふたたび動き始める。写真とは、連続する時空の流れに対して一時的に静止点を設けようとする行為であるが、その静止点もまた流れの中にある。
本期の制作では、このような時空間の流れと観測と美の関係を、撮影によって探究する。この問いは次期において、都市というより身近で具体的な場所をモチーフとして、存在論的なレベルに拡張される。
03. 2026-2027:〈 都市の幾何学 〉
都市の匿名的な人工物の美しさを幾何学的に捉える。
前期まで、連続性は物質と時空という抽象的なスケールで問われてきた。本期はその問いを、日常の具体的な場所である都市へと着地させる。
都市には、生活を支える無数の人工物が存在する。エアコンの室外機、ガスメーター、エスカレーター、ロードコーン、送電鉄塔――これらは都市生活を送る上で不可欠でありながら、日常的にはほとんど意識されない。人々の視線はこれらの人工物を素通りし、その存在は都市の背景として不可視化されている。
不可視化された存在は、しかし消えたわけではない。与えられた役割を黙々と全うし、誰にも注目されないまま都市の秩序を支えているのである。美は、スポットライトの当たる場所にだけ存在するのではない。このような匿名的人工物であっても視座を変えることで、見過ごされてきた構造の中に幾何学的な美は顕現しうる。美は対象に固有のものではなく、観測という行為との関係において生じる――その直観は、前期までの問いと地続きである。
本期の制作では、匿名的な人工物を単なる情緒的な主題としてではなく、平面作品の構成要素として幾何学的に捉える。色相を排し、明暗と形態のみによって画面を構成することで、不可視化されてきた存在の構造を知覚の前景へと引き出す。それは、見えていなかったものを見ることによって、美の連続的な存在の可能性を開く試みである。
機材と技法
本制作に使用する機材は、フィルムカメラおよびスマートフォンである。フィルムの粒子、不可逆的な露光、デジタルの即時性と日常性――これらの特性は、連続性・不可逆性・観測という本制作の主要概念を、制作過程において物質的に実装する。
01. KODAK ULTRA F9 / スマートフォン
KODAK ULTRA F9は、絞りやピント調整のできないシンプルな構造のフィルムカメラである。撮影枚数に上限があるため、一枚一枚の撮影に対してデジタルとは異なる密度の判断が要求される。シャッターを切る行為は、連続する時空の流れから一点を選択し、不可逆的に固定する決断として経験される。
フィルム写真に特有の粒子感は、しばしばノイズとして処理されるが、本制作においてはこの物質性を積極的に保持する。銀塩粒子の分布は、光の情報が化学的過程を経て物質として定着した痕跡であり、デジタル処理では得られない物質的連続性を画面に与える。
この不可逆的な露光と粒子の累積は、絵画制作におけるミリペンの不可逆的痕跡生成と構造的に対応している。どちらも、一度生成された痕跡を消去・修正できず、その累積によって画面上の秩序が形成される。フィルムカメラとミリペンは、異なる媒体でありながら同一の制作原理を共有している。
スマートフォンを用いる主な理由は、日常的に携帯する機器であるという特性にある。スマートフォンによる撮影は、日常の流れの中で発見された連続性の断面を即時的に固定する行為として位置づけられる。フィルムカメラが選択と決断の密度を高める機材であるとすれば、スマートフォンは日常と制作の境界を流動化させる機材である。本制作においてはフィルムカメラで撮影する作品とスマートフォンで撮影する作品が混在しており、この混在自体も連続性という主題の一部を体現している。
02. オブジェクトとしての被写体 / 色相の不要化
本制作における基本的な被写体は人工物である。人間などの生物を被写体に用いる場合も、情緒的な主題としてではなく、空間を構成する物体の一つとして扱う。被写体が人間であるか人工物であるかにかかわらず、本制作において被写体はすべて、連続する情報秩序の中に位置する物質的存在として捉えられる。人間をオブジェクトとして扱うこの視点は、人間の価値を否定するものではなく、人間もまた物質・時空・都市の連続性の中にある存在であることを、視覚的に提示するものである。
2026年以降の制作はモノクロで行われる。色相を排除し、明暗と形態のみによって画面を構成することで、被写体の幾何学的な構造と物質的な存在感が前景化される。色彩は、被写体への情緒的・連想的な反応を喚起しやすく、構造そのものへの知覚を妨げる場合がある。色相を不要なものとして排除することで、本制作が問う連続性――物質の流れ、時空の断面、都市の幾何学――がより直接的に知覚に届くようになる。