自由エネルギー原理に基づく自己の実存的再構成
本論考は、絵画制作における Artist Statement の思想的基盤をなす。
序章 問題の所在と本論の構成
第一節 問題設定
現代社会における様々なシステムは、かつてない複雑性と自律性を有している。政治・経済・軍事・通信といった多様な領域は、合理化の要請のもとで相互に接続し、部分的な制御を超えた全体的な自己組織化の段階に至っている。そこでは、人間の行為や感情はしばしば外乱として扱われる。
他方、神経科学と情報理論の発展は、人間の自己意識を物理的な情報処理過程として記述可能な段階にまで押し進めた。自己意識の自然化、すなわち「人間を自然現象の一部として理解する」という立場は、哲学的には人間中心主義の終焉を意味する(Dennett, 1991)。しかし、その自然化が進むほど「自己とは何か、またそれをいかに再定義できるのか」という根源的問題に直面する。
同時に、この問題は純粋に理論的な問いにとどまらない。特定の神経特性を基準として構築された社会構造の中で、その基準から逸脱した個体は、自らの予測構造を社会的規範へと強制的に同調させられる。予測誤差最小化という枠組みにおいて、強制的同調と自発的同調はいずれも誤差の減少として等価に記述される。しかし当事者にとって、「自ら同調した」と「強制的に同調させられた」は根本的に異なる経験である。この理論的等価性と実存的非対称性の乖離こそが、強制的同調の過程が提起する問いの核心である。すなわち、自己の自然化が理論的問題であるとすれば、社会構造への強制的適応は実存的問題である。本論はこの二つの問いを、一つの理論的枠組みの内部で扱う。
ここで本論は、「自然化」という語が二つの異なる問題系を担っていることを最初に明示しておく必要がある。第一の意味は、認知科学・神経科学的意味における自然化であり、自己意識や主観的経験を物理的・情報論的過程として記述するという方法論的立場である。第二の意味は、社会システム論的意味における自然化であり、人為的に設計された制度や規範が外部からの明示的制御を離れ、自律的な自己維持システムへと変容する過程を指す。
この二つの自然化は、表面上は異なる領域に属する問題を扱うように見える。しかし本論は、両者が「予測誤差最小化」という共通の最適化原理によって一つの連続した問題圏を形成するという立場を取る。そして、この二重の自然化が同時に進行する条件下において、「自己」はいかに再構成されうるか、というのが本論の根本的な問いである。
そこで、本論を貫く中心命題は以下に集約される。
自己・社会・価値は、予測誤差最小化を制約条件とする情報秩序の自己組織化として連続的に理解でき、その連続性の内部で「実存的自己更新」という主体的経験が生起する。
本論の目的は、この中心命題を、社会システムの自律化と自己意識の自然化という現代的条件の下で、また強制的同調という実存的問題と接続しながら検討することにある。
第二節 本論の構成と論証の流れ
本論は、この中心命題を二段階で論証する。
第一章では、予測処理理論および自由エネルギー原理に基づき、自己・意識・時空がいかにして構成されるかを明らかにする。ここでの目的は単なる概念整理ではなく、中心命題の理論的基盤を確立することにある。とりわけ、自己が閉じた実体ではなく、予測誤差最小化を通じて環境と動的に結合した開放系として機能するという点を示す。この理解が後続の社会論・実存論を支える不可欠な前提となる。
第二章では、第一章の理論を前提として、人間の三層的構造を論じ(第一節)、人間と機械の非対称性という緊張を検討する(第二節)。その上で、社会秩序の形成・自律化・自然化のメカニズムへと進み(第三節・第四節)、自然化した社会における強制的同調の問題を経由して(第五節)、自己がいかに再構成されうるかという実存的問いに応答する(第六節・第七節)。
第三節 主要概念の定義
本節では本論全体を通じて使用する主要概念を定義する。
情報:単なるデータ量ではなく、予測と行為を可能にする秩序化された差異。これを以下の三層に分けて用いる。(1)物理的・統計的情報:通信量や変動率として間接的に捉えられる情報流量。(2)意味的・記号的情報:言語・制度・規範など社会的に共有されるコードの安定性として観察される情報。(3)予測誤差としての情報:主体が世界を予測する際に生じる期待と結果の乖離として経験される情報。
秩序:これらの情報が時間的に持続し、予測可能性をもつ形で配置されている動的安定状態。固定的構造ではなく、環境との相互作用の中で維持・更新されるプロセスとして理解される。
自然化(二義):(1)認知科学的自然化:自己意識を神経科学的・情報論的過程として記述する立場。(2)社会システム的自然化:制度や規範が外部的制御を離れ、自律的な自己維持秩序として振る舞い始める段階への移行。本論はこの二義が予測誤差最小化という原理のもとで連続的に理解できると主張する。
構造的対応関係:個体内の神経過程と社会制度とが、同一の最適化原理(予測誤差最小化)に拘束された異なる階層のシステムとして振る舞う点における対応関係を指す。要素レベルでの同型性を意味するものではなく、理論的作業仮説として設定される。この対応関係は、制度更新の頻度、行動逸脱の分布、規範再定義の周期といった社会科学的に観察可能な指標を通じて間接的に対比可能な関係として構成される。ただし直接的な等置ではない。
予測誤差:個体内では認知的不一致として経験され、社会レベルでは行為の逸脱や制度的不安定性として間接的に観察される乖離量。
強制された同調:主体が自発的選択として同調するのではなく、社会構造の制約によって同調を余儀なくされる状態。自発的同調とは非対称であり、本論はこの非対称性を「予測誤差最小化」の均質な記述からは区別可能な固有の問題として扱う。
なお、本論はルーマンの社会システム論(Luhmann, 1984)およびフリストンらによる集合的能動推論モデル(Friston et al., 2016)と部分的に重なる点を持ちながらも、以下の点で立場を異にする。ルーマンはコミュニケーションを基本単位とする自己言及的閉鎖系として社会を記述するのに対し、本論は個体の予測誤差最小化という神経科学的原理を基底に置き、その集積的相互作用として社会秩序を構成的に理解する。フリストンらの集合的能動推論は複数エージェントが共有生成モデルを通じて行動を調整する枠組みを提供するが、本論はその枠組みを援用しつつも、社会システムの「自然化」と強制的同調という現象に固有の実存的含意の検討を主目的とする。
第一章 自己と時空の構成原理
第一節 自由エネルギー原理と予測処理
本章の目的は、中心命題の理論的基盤として、自己・意識・時空がいかに構成されるかを明確にすることである。
自由エネルギー原理(Free Energy Principle)とは、フリストンらによって提唱された、生物システムの知覚・行動・学習を統一的に説明する枠組みである(Friston, 2010)。その核心は、生物が「変分自由エネルギー」――感覚入力と内部モデルとの乖離の上界として定式化される量――を最小化するように組織されているという主張にある。
この原理において、脳は外界を直接知覚するのではなく、感覚入力の「原因」に関する確率的予測モデル(生成モデル)を構築し、その予測と実際の入力との誤差を最小化するように絶えず更新される(Clark, 2016; Hohwy, 2013)。この過程は二つの経路を通じて実現される。第一に、モデル自体を更新することで予測を感覚入力に近づける「知覚的推論」。第二に、自らの行動によって感覚入力を予測に近づける「能動的推論」である。
知覚と行動はこの枠組みにおいて対称的な役割を担っており、いずれも自由エネルギーの最小化という単一の目的関数から導出される。これが予測処理理論の実質的内容であり(Rao & Ballard, 1999)、本論が「予測誤差最小化」を基本原理として用いる理論的根拠となる。
ただし、自由エネルギー原理は現在も理論的・実証的に論争中の枠組みであることを明記しておく。批判者は、その過度な汎化可能性が理論の反証可能性を損なうと指摘する(Klein, 2018)。本論はこの批判を認識しつつも、個体の認知を記述する作業枠組みとして予測処理理論を採用し、その社会・実存への拡張を行う。
第二節 自己と意識
この枠組みのもとで、「自己」とは、恒常性を維持しようとする自由エネルギー最小化系として機能する、脳を中核とした生体全体(環境と動的に結合した系)によって構築される、階層的な生成モデルの集合体として定義される(Seth, 2021)。
この生成モデルは、自己と非自己を区別する境界条件を内在化しつつ、外界および身体内部の状態遷移を予測することで、予測誤差を再帰的かつ能動的に最小化しようとする。重要な点は、自己が完結した実体ではなく、予測誤差の継続的な最小化過程として、すなわち動詞的なプロセスとして存在するということである。
意識は、階層的生成モデルのうち、高次の統合的予測表象が一定の安定性を保って顕在化した現象とみなされる(Hobson & Friston, 2014)。脳は、ボトムアップの感覚入力とトップダウンの予測との間に生じた誤差のうち、どの誤差をモデル更新に採用するかを決定しなければならない。これは精度加重(precision weighting)と呼ばれ、特定の誤差信号に対して神経活動の利得を高める制御過程である。
意識とは、この精度加重の制御プロセスそのものであり、信号の確度に対する重み付けを行うことで、自己システムが情報の洪水の中で適応的な学習を選択的に実行することを可能にする。例えば、予想外の出来事を理解して「腑に落ちる」と感じるプロセスは、この重み付けとモデル更新の連続的結果として理解される。
自己が「予測誤差最小化過程」として定義されるならば、自己の同一性とは固定した実体への帰属ではなく、特定の予測構造の継続的な安定性として記述される。このことは、自己が原理的に再構成可能であることを意味する。なぜなら、生成モデルが更新される限り、自己もまた変容するからである。
第三節 時空
自由エネルギー原理の枠組みにおいて、時間は自己モデルが行為と予測の文脈で出来事を系列化するための行為指向的な予測構造である。空間は、自己の身体可能性に基づく対象配置の表象として理解される(Friston et al., 2017)。「時空」はこれら二つを統合した認識主体固有の概念モデルであり、予測誤差最小化の下で物理的因果関係を機能的に写像する枠組みである。
この時空モデルは、感覚入力と行為出力の随伴関係を時系列的かつ空間的に組織化することで、自己の行為が将来どのような状態遷移を引き起こしうるかを表象する。その安定性は、自己モデルが内在化する生成モデルと、環境の統計的規則性との整合性が維持される限りにおいて保証される。
ただし、この主観的・機能的時空は、物理的時空との対応関係が完全に恣意的であるわけではなく、予測誤差最小化という制約の下で物理時空の因果構造を間接的に反映する限りにおいて成立する。主観的時空は物理的な絶対順序とは一致しない場合があるが、主体が行動を予測・制御する上で必要な因果関係は維持され、物理時空の近似的写像として機能する。
第四節 小括
本章では、自由エネルギー原理と予測処理理論の理論的内実を示した上で、自己・意識・時空がいかに構成されるかを記述した。ここで確立した三つの論点が次章の基盤をなす。第一に、自己は予測誤差最小化過程として記述され、本質的に動的・更新可能な構造である。第二に、意識は精度加重の制御プロセスとして、自己の学習選択を調整する機能を持つ。第三に、時空もまた主観的生成モデルの産物であり、予測誤差最小化の制約下にある機能的写像として理解される。以上の理解を前提として、次章では同一の論理を社会・価値・実存の次元へと拡張する。
第二章 システムの自然化と自己の再構成
本章では、第一章で確立した予測処理と自由エネルギーの枠組みを前提として、人間の三層的構造を論じ(第一節)、人間と機械の非対称性という緊張を検討する(第二節)。その上で、社会秩序の形成・自律化・自然化のメカニズムへと進み(第三節・第四節)、自然化した社会における強制的同調の問題を経由して(第五節)、自己がいかに再構成されうるかという実存的問いに応答する(第六節・第七節)。
第一節 人間の三層的構造
本論が展開する社会論と実存論の前提として、まず個体としての人間の構造を明確にしておく必要がある。
本論は「人間」を単一の本質によって規定される存在としてではなく、異なる時間尺度と制約条件のもとで作動する三層的生成構造として理解する。この三層モデルは、リクールの物語的アイデンティティ論(Ricoeur, 1990)やダマシオの身体的自己論(Damasio, 1994)と重なる点を持ちながらも、本論においてはこれらを自由エネルギー原理の枠組みで統一的に再記述したものである。三層は相互に独立した実体ではなく、予測誤差最小化という共通原理のもとで階層的に結合した、異なる機能水準を表す。
第一層:生物的存在としての人間。この層において中心的役割を果たすのは、身体の恒常性を維持し、生存可能な状態空間を保とうとする調整過程である。快・不快、恐怖、欲求といった現象は、環境との相互作用の中で内部状態の秩序を維持するための指標として機能する。この層における人間の活動は、目的合理的というよりも、生存可能性を確保するための制約主導的な適応過程として記述される。
第二層:社会的存在としての人間。複数の主体が相互に行為を調整するためには、互いの振る舞いがある程度予測可能でなければならない。この要請に応える形で、言語、制度、規範、役割といった共有的枠組みが形成される。承認欲求や評価への感受性は、この相互予測可能性を維持するための調整機構として理解できる。この層において人間は、純粋な生物としてではなく、共有生成モデルに参与する成員として行動する(Friston et al., 2016)。
第三層:物語的存在としての人間。この層において個体は、過去の経験、現在の選択、将来の可能性を結びつけ、自らを一貫した存在として理解する長期的生成モデルを形成する。価値、倫理、人生目標、アイデンティティといった現象は、この長期的自己モデルの整合性を維持する働きとして現れる。ここでの「真理」とは外在的な絶対基準ではなく、自己の経験を破綻なく統合しうる予測構造の安定性として現れる。
これら三層は上下関係において切り離されているのではなく、生物的層が可能にする行動の範囲の上に、社会的層が相互調整の枠組みを形成し、物語的層がそれらを時間的に統合する、という形で重層的に作動している。葛藤や意味の揺らぎは、これらの層のあいだで要求される予測構造が一致しないときに生じる現象として理解できる。
第二節 偶発性と計画性
前節まで、人間を予測誤差最小化系として記述してきた。しかしここで一つの緊張を直視する必要がある。この記述は、人間をある種の最適化機械として扱うように見える。人間を「偶発的存在」として、機械を「計画的システム」として対比させるとき、この記述は矛盾しないのか。
この問いは、正面から検討されるべき本質的な緊張を含んでいる。社会構造の合理化・規定化・計算可能化への圧力が進行するにつれ、人間は環境への適応として生存戦略的な学習を重ね、その行動様式は次第に機械的な計画性を帯びる。他方、科学技術の進歩は機械に確率論的処理・文脈依存的応答・自己修正能力を付与し、機械は人間的特性に接近しようとする。このような「機械化する人間」と「人間化する機械」の相互接近は、両者の境界を問い直す。
本論の立場からすれば、この緊張は以下のように整理される。予測誤差最小化という原理は、人間と機械の双方に適用可能な記述の枠組みである。しかし、この共通原理の適用が、両者を同一視することを意味しない。人間の生成モデルは、生物的・社会的・物語的という三層の制約の下で、進化的・発達的・個人的な時間尺度において形成される。その過程は本質的に、設計者が事前に仕様化できない偶発性を内包する。人間の「偶発性」とは、この多層的制約の非線形な相互作用から生じる、予測不可能な創発的挙動として理解される。
対して機械の「計画性」とは、設計仕様の範囲内での最適化として理解される。機械学習システムが確率論的振る舞いを示すとしても、その確率分布の設計空間自体は人間によって規定される。機械が獲得しうる「偶発性」は、あくまで設計された確率構造の内部における偶発性であり、その構造外部からの創発ではない。
しかし、この区別は安定した境界を描くものではない。社会システムの合理化・自然化が進行するにつれ、人間の行為選択の空間もまた、社会的生成モデルによって構造的に限定される。すなわち、人間が「偶発的存在」としての創発性を発揮しうる余地は、社会システムの自然化の進行とともに縮減する。この縮減過程こそが「機械化する人間」の現象的実質であり、本論における「自己の再構成」という課題が生じる根拠でもある。
したがって、偶発性と計画性の対比は固定した本質的区別ではなく、社会システムの状態に依存して変動する動的な非対称性として理解される。自己の再構成とは、この非対称性が圧縮されつつある条件の中で、なお人間的創発性の余地を保持しようとする実践として位置づけられる。
第三節 社会秩序の自己組織化
本節では、前節までに定義した個体が複数集まるとき、いかにして社会秩序が自己組織化するかを論じる。
各個人は、他者という不確実性に対処するため、共通のプロトコル(法律・貨幣・言語)に依存して互いの挙動を予測する。この「相互予測可能性」の要求が、社会秩序形成の駆動力である。各個体が予測誤差を最小化しようとする行動の集積は、個体の外部に共有的な予測構造を析出させる。これが制度・規範の発生論的説明である。
このプロトコルは初期には個人の道具に過ぎないが、システムが大規模化すると、個人間の接続を維持するための外部的制約条件として固定化される。予測誤差最小化を志向する個々のエージェントは、この固定化された外部構造(社会システム)への適合を最適解として選択せざるを得なくなり、結果として、社会システムは構成員を自らの維持のためのリソースとして組み込む、自律的なフィードバックループを形成する。
このように、社会秩序は個体の予測誤差最小化行動の集積的帰結として形成されるが、一度成立すると、今度は社会秩序そのものが個体の行動を方向づける上位の文脈として機能するようになる。本論はこの双方向的フィードバックをもって、個体と社会のあいだに不可逆な断絶ではなく、階層的連続性が存在するものと捉える。
この対応関係は等置ではなく、構造的類比として理解されるべきである。個体内の予測誤差と社会的不安定性は、制度更新の頻度、行動逸脱の分布、規範再定義の周期といった社会科学的指標を通じて間接的に対比可能な関係として設定されているが、両者を直接同一視することは本論の主張ではない。
第四節 社会システムの自然化
前節で記述した社会秩序の自己組織化が一定の成熟水準に達すると、本論が「社会システムの自然化(第二の意味)」と呼ぶ段階へと移行する。
社会システムの自然化とは、制度が人間の目的を実現する手段であることを超え、制度自体が存続を優先する秩序として振る舞い始める局面のことである。法律や制度は初期には個々人の行為を補助する道具として導入されるが、運用が進むにつれて、それ自体が行為選択の前提条件として固定化される。信用スコア、アルゴリズムによる業務評価、自動化された審査制度なども、当初は人間の判断を補助する道具として導入されながら、やがてシステム自身が独自の最適化指標を持ち始め、人間の介入を排除した自律的な環境制約として機能し始める。個々の主体は、これらの基準に適合することを合理的選択として行動し、その結果、制度は人間の目的を超えて自己再生産的に安定化する。
このような過程において、技術は社会システムの自然化を加速する媒介として機能する。人工知能や自動化技術による社会運営の効率化も、人間の目的を達成するという初期の意図を超え、システム自体が自己維持を目的として進化する一形態として見なすことができる。
ここで、序章で区別した二つの自然化が接続される。認知科学的自然化(第一の意味)は、個体レベルの自己を予測誤差最小化過程として記述することで、自己の「透明化」をもたらす。社会システム的自然化(第二の意味)は、社会秩序を外的制約条件として固定化することで、個体の選択空間を構造的に限定する。この二重の自然化が同時に進行するとき、「自己とは何か、いかに生きるべきか」という問いは、単なる哲学的問答にとどまらず、情報環境の内部で自らの位置を引き受けるという実存的課題として浮上する。
第五節 強制された同調
前節まで論じてきた社会システムの自然化は、一つの具体的な問題を提起する。すなわち、自然化した社会秩序が前提とする「標準的な神経特性」から逸脱した個体は、いかなる条件に置かれるのか、という問いである。
社会的生成モデルは、多数派の神経特性に基づいて構築された行動様式・言語・感情表現のパターンを「予測可能な標準」として内在化する。この標準から逸脱した神経特性を持つ個体――神経学的少数派――は、社会システムの予測構造との間に恒常的な乖離を経験する。この乖離は、通常の意味での予測誤差とは性質が異なる。通常の予測誤差は、個体が生成モデルを更新することで低減される。しかし神経多様性に起因する乖離は、個体の生成モデル更新によって根本的に解消できない。なぜなら、その乖離の根本原因が、個体の生成モデルの「誤り」にあるのではなく、社会的生成モデルが特定の神経特性を標準として設計されている点にあるからである。
この非対称性の中で、神経学的少数派の多くは、自己の特性を覆い隠し、多数派の行動様式・言語・感情表現を模倣することで社会的な予測誤差を低減しようとする。この擬態的行動(マスキング)は、自由エネルギー最小化系としての個体が、与えられた環境制約の中で取りうる合理的な適応戦略である。
しかし、この適応戦略は高いコストを伴う。マスキングとは、個体の実際の予測構造と、社会に提示する予測構造との間に人工的な乖離を持続的に維持する行為である。この持続的な内部乖離は、自由エネルギーの慢性的な増大として経験される。すなわち、マスキングは社会的予測誤差を外部的に低減する一方で、個体内部の予測誤差を恒常的に増大させるという、非対称な代償構造を持つ。
ここで本論が強調するのは、この問題の原因帰属についてである。マスキングを余儀なくされる個体の側に「適応不全」の原因を見出す立場は、社会的生成モデルの偏りを不可視化することで、その偏りを自然化・固定化する。本論の枠組みからすれば、特定の神経特性を標準として設計された社会的生成モデルは、普遍的な最適化の産物ではなく、多数派の予測構造を特権化することで成立した、歴史的に偶発的な設計の産物である。
したがって、自然化した社会システムの内部における強制的同調は、「予測誤差最小化」という均質な記述の内部に回収されえない固有の問題を提起する。それは、誰の予測構造を標準として社会的生成モデルが構築されるか、という政治的な問いである。自己の再構成という課題は、この問いと切り離すことができない。自然化した社会システムへの適応を合理的選択として受け入れることは、その社会的生成モデルの偏りをも引き受けることを意味するからである。
第六節 自己の再構成
本節では、これまでの考察を踏まえ、自然化した社会システムの内部において「自己」がいかに再構成されうるかを論じる。
第一章で確認したように、自己は静的実体ではなく、予測誤差最小化の継続的プロセスとして定義される。このことは、自己が原理的に再構成可能であることを含意する。しかし、理論的可能性としての再構成可能性と、実存的課題としての自己再構成とは区別されなければならない。後者は、自然化した社会システムという具体的制約の中で、自己の生成モデルをいかに更新するかという問いである。
本論における「自己の再構成」とは、既存の文脈を否定することではなく、それらを異なる秩序の中に再配置する行為である。ここで言う「再配置」とは、自己を構成してきた諸文脈――家族関係、職業的役割、道徳的信念、将来像など――を消去することではなく、それらがどの水準の秩序に従属しているかという階層関係を組み替えることを指す。
例えば、特定の社会的役割や評価を自己同一性の中核に置いていた主体が、それらをより高次の価値体系や探索的目標の下位に位置づけ直すとき、個々の役割は存続したまま、自己の予測構造全体は異なる安定点へと移行する。このような階層的再編こそが、本論における「自己の再構成」である。これは、ハイデガーの「本来性への呼び声」(Heidegger, 1927)やサルトルの「根源的選択」(Sartre, 1943)が主体の意志による意味の刷新を記述しようとした試みと問題関心を共有する。本論はその記述を予測処理の枠組みへと移植する。
すなわち、実存的自己再構成とは、主体が自らの生成モデルの階層構造を意識的に組み替えることで、自由エネルギーの最小化点を能動的にシフトさせる過程として理解される。
この再配置の過程は、既存の生成モデルの信頼度を一時的に不安定化させる。このとき自己が行う重要な行動が、好奇心から生じる「新奇性探索行動」である(Schmidhuber, 2010)。これは自己システムの固定化を防ぎ、より最適化された高次の秩序を探索するために、一時的な予測誤差の増大を積極的に受け入れる能動的推論の一形態である。
ここで重要なのは、この予測誤差の増大が、外部から強制される受動的混乱ではなく、主体自身が選択的に引き受ける不確実性であるという点である。好奇心とは、既存の生成モデルが十分に機能している状況においても、あえてその信頼度を一時的に下げ、新たな仮説空間を探索しようとする態度である。その結果として生じる不安や違和感は、単なる失調ではなく、自己システムがより広い予測可能性を獲得するために支払う探索コストとして位置づけられる。
ただしここで、前節の議論を踏まえた留保が必要である。自己の再構成が「能動的な選択」として成立するためには、再構成の余地がある程度開かれていることが前提となる。強制的同調の圧力が恒常的に作用する状況において、自己再構成を純粋に「能動的推論」として記述することは、その強制性を個人の選択問題に還元するリスクを孕む。したがって、自己の再構成とは、個人の能動性のみに帰せられる課題ではなく、社会的生成モデルの偏りが問い直される社会的過程と連動した実践として理解される必要がある。
第七節 分化する主体
前節では、好奇心を媒介とした自己の再構成を能動的な情報再配置として描いた。しかし、このような自己再構成がすべての主体にとって要請される普遍的態度ではないことを、ここで明確にしておかなければならない。
本論の立場において、主体とは単一の本質を共有する存在ではなく、異なる予測戦略を採用する予測誤差最小化系である。したがって、予測誤差を積極的に引き受け高次の秩序を探索する「探索主体」が存在する一方で、既存の社会的生成モデルに同調し、安定的な秩序の内部で生を営む「安定同調主体」が存在することは、理論的に自然な帰結である。この分化は主体間の価値的優劣を意味するものではなく、情報環境に対する適応様式の差異にすぎない。
ある社会では、探索主体が新たな情報秩序を試みる一方で、安定同調主体が全体の秩序を維持する。この二種類の主体が適度に存在することで、社会全体の予測誤差は低減され、システムの安定性が保たれる。探索主体が過半を占めれば秩序が揺らぎ、安定同調主体ばかりでは革新が停滞するという形で、バランスが求められる。
ただし前節の留保はここでも有効である。「安定同調主体」の存在が理論的に自然な帰結であることと、強制的同調によって安定同調主体であることを余儀なくされることとは、区別されなければならない。前者は適応戦略の多様性として肯定されるが、後者は社会的生成モデルの偏りが生み出す問題として批判的に検討される必要がある。
したがって、能動的に自己を再構成し続ける生き方も、既存の秩序に委ねて安定的に生きる生き方も、いずれも自発的選択として取られる限りにおいて排除されるべきものではない。前者は探索と変動を担う情報的役割を果たし、後者は秩序の再生産と安定化に寄与する。この二種類の主体の共存が人間中心主義以降の社会における基本的構造として成立するためには、その共存が強制ではなく多様性として機能することが前提条件となる。
以上の観点からすれば、人間中心主義の終焉とは、人間の生の価値が否定されることを意味しない。それはむしろ、人間を特権的な目的主体としてではなく、情報秩序の内部で多様な位置を取りうる存在として再記述することを意味する。本論が描く自己の再構成とは、このような分化を前提とした上で、なお主体が自らの位置を引き受け、あるいは再配置しうる可能性を開いた概念なのである。
第八節 小括
本章では、中心命題を実存的水準で展開した。本章で新たに示した点は以下の四点である。
第一に、社会秩序を相互予測可能性の要請から自己組織化する情報環境として定式化した点。
第二に、偶発性と計画性の対比を固定した本質的区別ではなく、社会システムの状態に依存する動的非対称性として位置づけた点。
第三に、強制された同調を予測誤差最小化の均質な記述に回収できない固有の問題として提起した点。
第四に、自己の再構成を、個人の能動性のみに帰せられる課題ではなく、社会的生成モデルの問い直しと連動した実践として位置づけた点。
終章 結論と残された課題
第一節 論証の総括
本論は、「自己・社会・価値は、予測誤差最小化を制約条件とする情報秩序の自己組織化として連続的に理解でき、その連続性の内部で実存的自己更新が生起する」という中心命題を、理論的水準(第一章)と実存的水準(第二章)から段階的に検討してきた。
第一章では、自由エネルギー原理と予測処理理論の枠組みにおいて、自己が動的・更新可能な生成モデルの集合体として理解されることを示した。これは自己の再構成が理論的に可能であることを含意するのみならず、その再構成が「生成モデルの階層的再編」として具体的に記述されうることを意味する。
第二章では、この個体モデルを社会・実存の次元へと拡張した。人間的偶発性と機械的計画性の対比が社会システムの状態に依存する動的問題として提示され(第二節)、個体の行動の集積が社会秩序を自己組織化し(第三節)、その秩序が自然化することで個体の選択空間を構造的に限定し(第四節)、特定の神経特性を持つ個体に強制的同調を課すという非対称な問題が析出された(第五節)。この条件下で、自己は生成モデルの階層的再編という形で能動的に再構成されうるが、その実践は社会的生成モデルの偏りの問い直しと連動している(第六節)。また、その再構成は普遍的義務ではなく、多様な適応戦略の分化を前提とした実存的可能性として位置づけられる(第七節)。
以上の論証を経て、中心命題は単なる原理的主張にとどまらず、社会システムの自然化と強制的同調という具体的条件下における実存論として展開された。現代社会における実存とは、固定された意味や目的を回復することではなく、自然化した情報環境の内部で、自らがどの階層に、どのような予測戦略として位置づけられているかを引き受け、必要に応じてそれを再配置しうる可能性そのものにある。本論が示したものは、この可能性を理論的に可視化し、なお開かれたまま保持するための枠組みである。
第二節 本論の限界と今後の課題
本論には以下の点で明示的な限界がある。
第一に、個体の予測誤差最小化から社会秩序の自己組織化への理論的橋渡しは、本論において作業仮説として提示されたものであり、実証的な検証の設計は行われていない。
第二に、自由エネルギー原理自体の反証可能性をめぐる論争に対して、本論は立場を表明したものの、その論争を詳細に検討することは本論の射程を超える。
第三に、強制された同調の問題を予測誤差最小化の枠組みで論じることは、その政治的・倫理的射程を十分に扱えていない可能性がある。神経多様性をめぐる議論は、情報理論的記述のみでは捉えきれない権力論的・規範論的次元を含んでおり、これを別途検討することが今後の課題である。
第四に、「自己の再構成」という概念が実存哲学の先行研究に対して持つ独自性を、本論は示唆するにとどまった。ハイデガー・サルトル・ストア哲学等との体系的な対比は今後の課題である。
参考文献
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